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- 2014.08.15平和国家で押し切る事が真の武士道
8月15日、69回目の終戦の夏を迎えました。現在開催している「ブラジルと仏教展」の中で、南米に仏教を伝えた茨木日水上人が、この終戦をどのように感じておられたか。自衛隊、憲法9条についても触れ、仏教的な視点で語っておられます。
終戦後、祖国から遠く離れたブラジルでは、敗戦を受け入れる「負け組」と日本が負けるはずがない勝ったのだと信じて疑わない「勝ち組」の間で抗争が起こりました。この抗争は死者が出るほどまで激化した悲しい戦争の歴史の事実です。
今晩、午後10時からNHK BS1スペシャルで「遠い祖国~ブラジル日系人抗争の真実~」が放送され、この勝ち組・負け組の抗争のことが放送されるのではないかと思います。
そして、この渦中にいたひとりの僧侶がどのように考え、行動していたか、京都佛立ミュージアムでご覧いただければありがたいと思います。
下記に展示内容を紹介させていただきます。ご覧ください。
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明治の末、ブラジルへ仏教を伝えようと、第一回ブラジル移民船・笠戸丸に乗船し、奴隷のような移民生活を経て、ついにブラジルに仏教を広めた茨木日水。彼は、日本人の誇るべき徳性や精神性を称えた「ジャポネス・ガランチード」を象徴するような生涯を送りました。日水は、第一次世界大戦と第二次世界大戦をブラジルで過ごしました。太平洋戦争が始まるとブラジルはただちに日本と国交を断絶。政府関係者は引き揚げ、ブラジル国内では敵性国民と見なされ、日本人への立ち退きや資産の凍結、没収などの迫害が相次ぎました。日本語で話し合うことも禁止され、情報も遮断されました。戦前の日本で国粋主義教育を受けた人びとは両国のナショナリズムの狭間で苦悩しました。
事実、終戦後の約1 0年間、日本の勝利を信じて疑わない「勝ち組( 信念派)」と、敗戦を受け入れるべきとする「負け組( 認識派)」の対立が続きました。この対立はついに日本人同士の殺戮事件にまで発展し、ブラジルの日系人社会は深い傷を負うこととなりました。
日水は、日本から遠く離れたブラジルで、戦争の愚かさや悲惨さ、日本人の素晴らしさや愚かしさを見つめながら過ごしました。近年、その一端を垣間見る手紙が発見され、注目を集めています。
この手紙は弟子の一人・及川日在に宛てたものでした。相手が弟子とはいえ、日水は丁寧に言葉を選びながら、1970( 昭和45) 年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した三島由紀夫氏について言及し、「戦争と平和」「憲法と自衛隊」「武士道と仏教」について述べています。この手紙を執筆した1 2月8日は、三島氏が自刃した約2 週間後、奇しくも太平洋戦争が勃発した日であり、仏陀釈尊が成道されたと伝わる日でもありました。その意義深い日時は、後世に生きる私たちに対する大切なメッセージのように思えます。
そもそもブラジル移民を創始した水野龍は、移民を他民族との「共存共栄」の事業と考えていました。NHKが水野を取り上げた「その時歴史が動いた」では、副題を「移民は共存共栄の事業なり~ブラジル移民100年~」とされています。日露戦争後、日本の移民政策は台湾や朝鮮、満州建国後は大陸へと転じて、国家を挙げて大量の移民を送り出してゆきました。そこにも「共存共栄」「五族協和」「大東亜共栄」が謳われていましたが、自由民権運動の闘士でもあった水野の「共存共栄」と国家の思惑とは次元の異なるものでした。残念ながら無惨な敗戦がその違いを証明することになります。2015( 平成27) 年、私たちは終戦から70年目を迎えます。戦争から長い年月が経ち、その酷い記憶が薄れる中で、日本の安全保障、自衛権や憲法改正について活発に議論が交わされています。
水野の事業に参画し、第一回笠戸丸移民として仏教による共存共栄を目指した茨木日水。異国の地で「ジャポネス・ガランチード」を体現した彼の言葉は現代の日本人の心にどう響くでしょうか。
人間の心の在り方が、この世界を浄土にもし、地獄にもする。法華経の精神を説きながら、『平和国家で押切る事が真の武士道』と書いた日水の言葉は、重たく、厳しく、私たちに向けられています。
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拝啓十二月三日手取の御手紙御請取いたしました。
此度は松尾氏行きで小使を多分に使はす事になりました。誠にありがとう存じます。帰途は便が悪くて吉田局長?足を延ばしました。今年は気狂天候で総てが当に成らない、喜んだり悲観したりが農家の現状です。人間の気持を顕はすのでしょう。
此度は三島由紀夫文学者の自刃で世界中のショックでした。珍らしい出来事でしたが拙者の考へます武士道ですが、義を見てせざれば勇なきなりと云ふ言葉があります通りベトナム戦争に国民の飢え衣食住に困難する姿を見て再び戦争はいたす物でないと思ひます。
幸ひ日本は平和国家を法律に定められてある事が如何に幸福の事かと思ひます。自衛隊といふのは守備隊の事で城を守るといふ役割です。国の番人です。平和国家を守護して居るのが武士道であります。日本を範として各国が守備隊を置く定度の軍費であれば世界中が経満国になります。此の平和国家で押切る事が武士道です。
諍ひ戦ふことが武士道でありません。斯した高度の思想の文明は佛陀を信じる事にあります。外道の思想には大きい欠点のある事を覚悟せねばならぬのです。三島氏は国士で犠牲
精神に富んだ立派な方でありますが時代謬誤の賢者です。言行一致は誰も望む所ですが本未有善の衆生は天台伝教聖徳太子八幡大菩薩の様な観行即には行きません。且つ此の娑婆世界は同居土で賢愚雑居の所ですから、無理な思惑を押付けても全々効果はありません。悲しい事ですが世の犠牲者と見る外ありません。如何に立派な人でありましても、人間凡夫の自力の考へ方では的に当りません。此の世界に高い思想家といふのは釈迦牟尼仏です。
三島さんに佛縁の無かった事が致す処と思ひます。
三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なりと高祖聖人は教えられて居ります。法華経の信仰の世界は故に不幸の起る天災の如きは神仏御守護が無いからであると我々は解釈する外ありません。
王舎城の名で町が火災を逃れた事など故事を引証しますと過去世の業因もありましょう。我々は南無妙法蓮華経と唱へて一生を御奉公で最後?それで終る事が出来れば人生としての大果報人と信じて毎日を重ねて居ります。先は御礼旁々御返事?
大宣寺 茨木日水拝
及川日在師
昭和四十五年一二月八日
戦争は昭和二十年八月十五日我が国のポツダム宣言受諾に依って敗戦に終結した。其後の日本は天皇陛下は国民のあこがれの象徴として現存せられ、憲法は改正されて自由民主主義となり主権在民と規定された、
我が佛立講は独立して本門佛立宗となり却って大発展し盛大を迎へることとなった海外我が宗宗徒は大いに信念を堅固にして世界の平和幸福に寄与するやう努力せられたい。
昭和二十三年
本門佛立宗大本山宥清寺住職
本門佛立宗 講有
大僧正 梶本日颯
茨木現樹殿