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     「ひとひらの詩情とひとすじのドラマ」

     

    亀倉雄策

     

    194586日。広島市の上空で強烈な閃光が走り、瞬時にして市街は炎に包まれてしまいました。この歴史的な原爆の炸裂から、すでに40年の歳月がたっています。もはや、日本のグラフィックデザイナーのなかで、この事実を少しでも体験したという人は少なくなっています。私は当時、東京に住んでいましたが、その原爆の日をよく憶えています。

    その日は暑い日でした。朝から太陽がギラギラと照りつけ、蝉の声が激しく降るようでした。これは、あとで記録を読んだのですが、その日の広島は雲ひとつない、きれいな青空でした。空襲警報サイレンが鳴ると、美しく銀色に光ったB-29が小さく高空を飛んでいるのが見えました。すると突如、目もくらむ閃光が走りました。817でした。(注)

    私は東京ですから、その情景は知りません。12のラジオのニュースで、広島上空に異常な閃光が走り、全市街は火災になっているが、新型の爆弾らしいということでした。

    数日たって組織された専門の科学者の調査によって、原子爆弾に間違いないと報告されて、私はこのとき、正直な気持ちとしては、もしかしたら、この新型の爆弾のおかげで戦争は中止されるかもしれないと、一縷の希望をもつようになりました。

    そのころの東京、いや日本の全市は空襲に次ぐ空襲で、ほとんどの人は住む家もなく、もちろん食料もなく、極度に貧困に陥っていました。それでも戦争に勝つという政府の言葉を信じて、耐え忍んでいるという毎日でした。要するに、政府や軍人は、正義の戦いをしているのだから、最後には正義が必ず勝つと国民に信じ込ませていました。私はこれが戦争の一番恐ろしいところだと思います。アメリカもソビエトもイギリスもドイツも、日本と同じく政府は自分たちの正義を力説します。アメリカはアメリカとしての正義があるというし、日本は日本としての正義があると主張します。だから戦争というのは、正義と正義の激突なのです。日本国民は、正義を守るための戦争だと信じているわけですから、もしこの時代に平和とか戦争反対とかを叫んだら、たちまちその人は生きる道を失ってしまうに違いありませんでした。

    戦争というものは、いつの時代でも、どんな形の戦争にしろ、盲目的で身勝手で、独善的な正義がぶつかり合っているわけです。こうした独善的な正義の戦争が終わって40年の月日がたったいまになっても、戦争が好きだという人がいるでしょうか。私は、もうそんな馬鹿げた考えの人が存在しているとは信じられません。それなのに現在、現実に地球のどこかで戦争は行われています。理性では判断のつかぬ、おろかな行為が続けられているのです。

    2次世界大戦までの戦争のほとんどは、国家利益を守ることが正義でした。しかし現在の戦争は思想が正義であり、宗教が正義であるという角度に変わってきました。この思想戦、宗教戦は、きわめて陰湿であり、残虐であります。ベトナム戦争は、子供や婦女子、そして小さな村落まで巻き込んだ戦いでした。イランとイラクの戦争は、宗教の違いによる憎しみで、私たちの理解の範囲をはるかに超えた正義の戦いでした。私は、十数年前のアフリカのある国で起きた異種族の戦いの記録映画を見たことがあります。アフリカでの異種族の争いは、違った宗教の争いなのです。勝利者は捕虜になった異教徒たちの両手首をナタで切り落としました。その手首が、いくつも山のように積み上げられていました。その異様な風景は、いまでも私の脳裏に焼きついています。

    もちろんこれらの戦争も、その残虐な行為も、正義のためというキャッチフレーズのもとで、なんの疑念もなく実行されているわけです。これが、戦争というものの恐ろしさです。私たちは、なんとしても戦争をこの地球上からなくさなければなりません。人間は、動物と違って理性と英知をもっているといわれながら、なぜおろかしい正義をぶつけ合うのでしょうか。

    それでも、わずかな救いは、まだこの時点まで原爆を使用していないということです。もし原爆を使用すれば、どういう結果が人類の上に襲いかかるかを、ほとんどの人は「核の冬」として知っています。しかし、将来原爆を絶対に使用しないという保証は、何もないのです。だから、戦争というメカニズムが狂う前に、人間の英知を結集して、広島、長崎以外の地に原爆をおとさせぬようにしなければなりません。

    原爆戦を阻止する行動。原爆をもたない世界をつくる。これらのテーマに対して、いま、われわれグラフィックデザイナーは、何をしたらいいのでしょうか。こういう問題にぶつかった場合、デザイナー個人の力は、なさけないほど弱いのをよく知っています。しかしデザイナーとしての理性と感性は、自分たちの訴える手段を探りあてます。その探りあてたものが平和ポスターではないかと思います。ですから、この34年の間に、おびただしい数の平和ポスターが制作されています。もちろん日本もアメリカもたくさんつくっています。いかに平和に対して強く深い願望を多くのデザイナーがもっているか、この現象に私は、強い感動を覚えます。

    私は1983年に、《HIROSHIMA APPEALS》のポスターを制作しました。このポスターは、あるいはみなさんのなかに記憶されている方もあるかと思いますが、美しいたくさんの蝶が燃えながら落下するという幻想的な情景が表現されています。美しいものが燃えながら消滅してしまうという悲愴感が、リアルな描写よりもむしろ、原爆の恐怖感を生むと思いました。このポスターは日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)と広島国際文化財団の協力により、毎年1点ずつ世界にアピールしつづけるという企画によって制作されたものです。私のポスターは、この企画の第1回目の作品です。第2回目は、粟津潔がつくりました。彼は、著名なチェロリスト、カザルスの言葉からヒントを得てつくりました。鳥は“PEACEPEACE”と鳴いているというカザルスの言葉から、たくさんの鳥をポスターいっぱいに描きました。そして今年の第3回のポスターは、福田繁雄の手になったもので、彼独特のユーモラスな表現で、地球が地球のこわれた部分を修理しようとしているところを表現しました。

    私はHIROSHIMA APPEALSのポスターを制作するにあたって、次のようなJAGDAの姿勢を公表しました。

     

    HIROSHIMA APPEALSポスターは、あらゆる政治、思想、宗教を超えて純粋に中立の立場を守ってのみつくられるものである。

    原爆の悲惨さだけリアルに突きつけたものや、公式的な反戦、平和の表現を避けて、新しい視点から平和ポスターの姿勢を探求したい。

    美しさと品格がありながら、平和、反戦の祈りを込めたポスターこそが、広島市民の求めているものではなかろうかとJAGDAは考えている。

    しかし、これに答えることは、デザイナーにとって、もっとも厳粛にして困難な戦いであると思う」。

     

    私は、多くの人たちがつくった多くの平和のポスターを見て、じつのところいったい平和ポスターとは何なのだろうと考えさせられました。ポスターには、いろいろな違った表現がありました。声高く叫んでいるもの、静かにかたりかけようとしているもの、さては自己満足に終わってしまってアピールしてこないものまでありました。

    平和ポスターは中国の壁新聞のようなものだ、と言った人がいます。自分の自由な表現でポスターをつくって、広場にある壁面に自分で貼って通行人に見てもらおうという考えです。たしかに平和ポスターには、そういった性質の一面があると思いますが、私には、どうも新聞の意見広告のように思われてなりません。壁新聞はマスコミュニケーションの発達していない国の伝達手段ですが、意見広告は十分にマスコミュニケーションが文化としての高さに到達した社会で、いま普通に行われている伝達方法です。

    20年くらい前に『ニューヨークタイムズ』が、最初の意見広告を載せて世界を驚かせました。しかし、それ以後は、色々な主張が広告として掲載されて、民衆の反応を求めています。つい、この8月にも、ソビエト政府の意見広告が掲載されました。内容はアメリカの核軍縮の態度が明確でないという非難だということですが、これはたいへんすばらしいことだと思います。というのは、自国政府を非難した意見を堂々と載せるアメリカの新聞の寛大で公平な態度がすばらしいと思うのです。意見広告は民主主義のよさをいかんなく発揮していると思います。ところが、この意見広告が掲載されはじめた20年前に、こういうものは許せないと訴訟をおこした人がいましたが、アメリカの最高裁の判決は、次のようなすばらしい見識を示してくれました。「いかなる、公の問題についても、その議論は禁圧されず、力強く、辛辣で、時としては政府や公務員に対しても痛烈な攻撃をしても許される」というものでした。だから平和ポスターの精神に、この判例の見識の高さが生かされるべきだと思います。そしていま、現時点までに日本のグラフィックデザイナーは、たくさんのポスターをつくっています。300点に近いのではないかと推測します。これは、たいへんなエネルギーの集積です。しかも、これが全部自費による制作です。ですから、ポスターによる意見広告ということになるでしょう。

    もちろん、これらのポスターのなかで当然、見る人の心を打つものもあるし、単に形式表現にとどまっているものもあります。たとえば、技術が優れていても訴えてこないもの、また技術が未熟でもアピールが伝わってくるもの。これは制作する人の感性であり、哲学であるわけですが、悪くすると平和ポスターというのは一種の流行化の傾向にあるのではないかと思われます。この現象には、危険な要素が含まれています。それは、流行現象だけに、「平和」というものが安易に語られすぎて、デザイン表現の自由な材料という単純な思考にとどまってしまう危険です。こういう思考が続くと民衆はそっぽを向いてしまいます。こうなると結果は意見広告の価値がなくなってしまうわけです。

    私は、「平和」というものは厳粛なものだと思っています。姿勢を正して語り、思考するものだと思います。そうして、これほど身近な問題でありながら、これほど困難な問題は他に類を見ないと思います。平和は人類の最高の理想であり、なんとしても実現しなくてはならない問題なのです。このことは、人間であれば、だれでも理解、願望しているはずです。だから、いますぐにも地球のどこかで行われている戦争を終結したいと強く感じます。

    戦争は、人間にひとかけらの喜びも与えません。大きな悲しみを与えるだけです。不幸にして、第2次大戦では、日本人はアメリカを敵にまわして戦う運命になりました。日本人の大半は、アメリカ人が大好きでした。アメリカの文化を一生懸命にそしゃくしていたからです。日本の映画館の大半は、ハリウッド映画を上映していました。そしてアメリカ人の大好きな野球も日本人は大好きでした。むしろ熱狂していました。野球の試合は小学校から大学まで盛大に行われていました。山の小さな村でも、大きな都市でも、アマチュアの草野球が盛んでした。アメリカと戦うようになって、急に政府は野球を弾圧しはじめました。敵国のスポーツだからという理由です。アメリカ映画も禁止されましたが、野球だけは、こっそり続けていました。

    長距離爆撃機B-29がサイパンという遠い島から日本に飛んでくるようになりました。その頃空襲は決まって午前中でした。そのB-29の操縦士の空襲ノートという手記を読んだことがあります。それを要約すると次のようなものでした。

    「眼下は日本の美しい緑だった。民家の屋根が陽に輝いて見えた。空地らしいところに白い点のようなものがたくさん走りまわっている。何だろうと興味をもった。同乗員に調べてくれと頼んだ。彼は強力な望遠鏡で見ていたが、すっとん狂な声で「あっ、少年たちが野球をやっている」と言った。それから重い沈黙が機内を支配した。誰もが口を固く結んだままひと言もしゃべらなかった」。

    おそらくB-29の搭乗員たちは、心のなかで悲しさを痛いまでに感じていたことだろうと思います。

    私は、平和ポスターには、ひとひらの詩情とひとすじのドラマがなければならないと思います。たとえばB-29の操縦士の手記を考えてください。日本の緑と少年野球の詩情があります。ところが数分後の空襲で、この詩情は地獄と化してしまうわけです。これが戦争の悲しさです。平和ポスターは、この悲しみを込めなければならないと思います。

    再び、申し上げます。平和ポスターには、ひとひらの詩情とひとすじのドラマがなければなりません。この二つの要素がないと表現に深みがなく、浅薄で平板なものになってしまいます。平板では人びとの心の扉をたたくことはできません。人びとの心に深く食い入ることで、良心の魂を呼びさますことができます。

    それにはデザイナーがやむにやまれぬ平和への情熱を燃やすことです。情熱を燃やすことで、ほんとうに人びとの心を動かすポスターがつくれると、私は信じています。

     

    国際グラフィックデザイン団体協議会(Icograda/現「国際コミュニケーションデザイン協議会」)第11回ニース大会での講演、198595


    (注)講演内容をそのまま掲載した文章です。広島では815を正式な原爆投下時刻として公表しています。

    【長松館長ブログより転載】

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