「我々が歴史を勉強すると、我々が歴史から学んでいないことが分かる」ドイツの哲学者、ヘーゲルは言っています。
第二次世界大戦当時、イギリスの首相であったチャーチルは、「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」と述べています。
こうした言葉に接する時、私たちは先の大戦から何かを学び得たのか、一抹の不安がよぎるのです。
フランスの作家、空軍のパイロットでもあったサン=テグジュペリは次のように述べています。
「恐怖の描写をするだけであれば、われわれは正しく戦争に反対することにならない。しかし、生きることの喜びや無駄な死の非情さについて声高く述べるだけでも、同じように正しく戦争に反対することにはならない。」どれだけ恐ろしい資料を見ても、恐ろしい体験を聞いても、本当のところ、私たちの心には届かず、戦争が無くなることはない、という言葉です。なぜ、戦争は起こるのでしょうか?なぜ、戦争をしてはいけないのでしょうか?
残念ながら、「平和」は「戦争」からしか学べません。ここで、学ぶしかないのです。
1945 年、若き米軍兵士ジョー・オダネルは、ヒロシマ、ナガサキなど、焦土の日本を、個人のカメラによって撮影しました。帰国後、彼は戦争の忌まわしい記憶とともに300枚のネガをトランクの中に入れ、封印したのでした。
「生きてゆくために、すべてを忘れてしまいたかった」しかし、43年後、絶え間なく続く戦争、そして再び核兵器による戦争が繰り返されようとする中、彼は日本各地で目撃した悪夢のような情景から逃れられないことを悟り、「あの体験を語り伝えなければならない。」と決意し、トランクを開けたのでした。これらの写真は、後に小学館より『トランクの中の日本』と題して出版されました。
「この本は私の物語である。私自身の言葉で、私の撮影した写真で、戦争直後の日本で出会った人びとの有り様を、荒涼とした被爆地を、被爆者たちの苦しみを語っている。胸をつかれるような写真を見ていると、私は否応なく、辛かった1945年当時に引き戻されてしまう。そして、私のこの物語を読んでくださった読者の方々には、なぜ、ひとりの男が、終戦直後の日本行脚を忘却の彼方に押しやることができず、ネガをトランクから取り出してまとめたか、その心情を理解していただけると思う。」
敵国・日本に敵愾心を燃やしてやってきたオダネル氏は、瓦礫の山と化した日本を歩き、レンズを向けてゆくうちに、大きな葛藤を抱えるようになりました。日本を去る時、写真のネガにも、彼の心の中にも、日本で見た悪夢が焼き付けられていたのでした。
終戦70年にあたり、私たちは編集者の大原哲夫氏を通じて、アメリカのオダネル家にご協力をあおぎ、特別展示として「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして佛教~」を開催させていただくことが出来ました。彼のファインダーと、心を通じて映し出された70年前の日本から、戦争の悲惨さと、平和の大切さを感じ取り、学んでいただきたいと思います。特に、長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」は戦争の悲惨さを伝えるだけではなく、この少年の姿勢、姿から、70年前の日本人の、凄まじい精神性、徳性、品格、魂を、感じ、考えられるはずです。
これらの写真を通じて、無惨な敗戦を迎えた日本や日本人こそ、世界平和の希望であることを、噛みしめていただければと思います。
そして、鬼にもなれば、菩薩にもなる、人間の業や性、その正体を説いた仏教に触れながら、世界の希望として生きる大切さを感じていただければと思います。