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- 2018.06.30~イタリア サンマリノ共和国より・その4~長松館長FB
ありがとうございます。
関東は梅雨明けしたとか。こちら京都は 朝から青空も見えていたのですが午後から灰色の雲に覆われ雷がゴロゴロ今また青空がのぞいていますおかしな天気です羨ましいほどの快晴のサンマリノ共和国長松館長のFBがアップされました。下記に掲載致します。ご来場いただいた様々な国の方々から
『是非わたしの国でも開催していただきたい』と ご要望いただいたそうですいつの日か、と夢に描いてきたことが
ひとつひとつ現実になってゆくかもしれませんねこれからもコツコツですが、京都佛立ミュージアム生きた仏教の教えを色々な企画展を通して
発信してゆきたいと思います ーーーーーーー6月30日昨日、無事に写真展がスタートできて、本当によかったです。現薫師の現場力にはさらに磨きがかかっていました。たくさんのサンマリノの職人さんとお仕事しましたが、この分野は世界中どこに行っても変わらない感性、仕事ぶりで、 かっこよく、気持ちのいい男たちばかりでした。 3年前、第二次世界大戦から70年目、オダネル氏の写真を中心とした企画展を開催いたしました。 歴史的に貴重な写真であることはもちろんですが、展示のご許可と同時に、全く新しい、 大きなミッションを与えていただいたように思えました。 この少年と弟の姿に、戦争で失われてゆく命、傷つく子どもや女性たちの苦しみ、 悲しみのすべてが凝縮されているように感じました。 誰もが一度は目にしたことのあるこの写真を通じて、あらゆる壁を乗り越え、共に平和への祈りを捧げ、 確実に平和への階段を登る、 その一歩を踏み出さなければならないと思いました。 1945年、8月6日に広島、8月9日に長崎に原子力爆弾が投下されました。 広島では14万人、長崎では7万人もの命が、その年の暮れまでに亡くなったといわれています。 ジョー・オダネル氏は、日本が戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に署名した9月2日、 その歴史的な日に、日本へ上陸しました。 焼け野原の佐世保に上陸した彼は、従軍カメラマンとして広島や長崎を撮影してゆきました。 そして、タバコ数箱と交換した個人用のカメラでも貴重な瞬間をネガに焼き 付けてゆきました。 そして、長崎でこの少年に出会ったのです。少年は息絶えた弟を背負い、その弟を火葬するために焼き場に来ました。 彼はくちびるを噛み締め、直立不動で、その瞳はまっすぐに前を向いて決して動くことはありませんでした 。 オダネル氏は少年に声をかけようとしました。しかし、もしそうしたら、少年の心を支えているものを崩してしまいそうで止めたと記してい ます。 敵国日本へ、敵愾心に燃えてやってきたオダネル氏の心は、日本人と出会い、幼い少年の姿を見て、変化していったのです。 「私たちは下手な魔法使いのように、解き方を知らずに魔法をかけてしまったのではないか」 私たちの内側にある敵と味方の壁、自分と他人の境界は、妄想や幻想ではないか。 幻影に怯えて争い、傷つけ合い、殺し合っているのが人間だとしたら、こんなに愚かな、情けない、 虚しいことはありません。 愚かで、虚しいだけならばいいけれど、その結果として多くの人が亡くなり、 弱い立場の子供たちが命を奪われるなんて、 許されるはずがありません。 幻影を幻影だと気づき、その向こう側に行く。3年前、終戦70年の節目に、私たちはオダネル氏の心の変化、この進展こそ、仏教の説くプログレスと重なるものであり、 それこそいま私たちが学ばなければならないことと信じて、 展示を作り上げたのでした。 自分と他人、敵と味方、すべては仮のものであるということ。自分の心の内側にある壁が、それぞれの自由を奪い、平和を壊すということ。 「人立宗」と「佛立宗」というシンプルで根本的な問いに似ています。 私たちは、それぞれの価値観を大切にすると同時に、そうした文化、宗教、信仰、 国境を普遍化してゆく道のりにいます。 今でも世界中でこの兄弟と同じような少年がいるということ。戦争も紛争も終わることなく続いているということ。世界には今もなお1万5千発以上の核兵器があるということ。ある意味で、人類は成長していないということ。それでも人間を信じなければならないということ。人類の新しい価値観。意識の次元を上昇させることはそれほど難しいことではないはず。ジョー・オダネル氏は言いました。「歴史は繰り返すと言うが、繰り返してはならない歴史もあるはずだ。」 オダネル氏は原爆症とも思われる病気で生涯50回以上の手術を受けたといいます。 そして、8月9日に亡くなられたのです。それは1年が365日ある中で、長崎に原子力爆弾が投下された日でした。 到底偶然とは思えません。この写真展は73年前の日本にあった空気、煙、埃、臭いまで感じていただくことが出来ます。 昨日、クレムリンで秘書官をされている方が来られて、涙を浮かべながら話をしてくださいました。 「是非ともモスクワで開催してもらいたい。費用は全て出します。」と言われ戸惑いましたが、 この写真展にそれほどの力があることを再認識いたしました。 とにかく皆さんのおかげでここまで来ることが出来ました。今日も一生分の1日です。ありがとうございます。